独島
慶尚南道
慶州
安東
美しい国、長い歴史、活発な経済の中心、慶尚南道 2009-11-19

美しい国、長い歴史、活発な経済の中心、慶尚南道

慶尚道は慶尚南道と慶尚北道の南北に分かれており、「慶尚」という名前は高麗時代につけられました。当時の大きな二都市、慶州と尚州の頭文字から来ています。

 

朝鮮半島の南東端にある慶尚南道は、釜山や東側の蔚山、北側の慶尚北道にある大邱の達城や清道、高霊、星州、金泉と隣接しています。また、西側は茂朱や長水、全羅北道小白山脈の片側にある南原、さらには小白山脈の反対側にある全羅南道の求礼、光陽と境界を接しています。

 

慶尚南道には各地域によって開催される海軍大将李舜臣に関連した祭りや行事が30種類以上あります。2007年から慶尚南道は李舜臣将軍を記念するための活動を活性化し、その指導力と偉大な業績を広めるようになりました。

 

慶尚道にある歴史的な場所として、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)で大きな戦いが行われた3ヶ所のうち、2ヶ所は慶尚道に位置しており、露梁での最後の大きな戦いは慶尚道で起こりました。亀甲船は当初、慶尚南道の泗川浦で常用されていました。

 

閑山島

閑山島は壬辰倭乱のとき、朝鮮海軍が初めここの城塞に配置されていた島で、周辺の海は大きな戦いが起こった場所の一つとして、歴史的な空間です。島の人々は閑山島にあるすべての場所を李舜臣将軍と関連づけて呼び、その精神を称えています。また、李舜臣将軍が愛国的な時調(韓国固有の定型詩)を作った場所としてもよく知られています。閑山湾の景色の美しさは、毎年多くの旅行客を魅了しています。

詳しい情報 :http://tour2korea.com

 

露梁

露梁は壬辰倭乱最後の戦いがあった場所であると同時に、李舜臣将軍が死を迎えた場所でもあります。彼の遺骸をしばらくの間祀っていた忠烈祠があり、当時はよみがえらせた亀甲船を海で見ることができました。南海大橋を渡って南海(南側の海)までバスに乗れば露梁まで容易に行けます。